113系、東上(05年9月25日)
熱海で足湯につかり一息入れた後、東京へ戻ります。
最初は14:00発快速アクティーで帰るつもりでしたが、その前の13:53発普通列車も113系でした。国府津で抜かされますが、東京着は13分しかないですし、前者は11両、後者は15両で、休日の快速は混むことを考えて、普通列車で帰る事にしました。
13:53発858Mは快速に抜かされることもあってガラガラで、自分が乗った14号車は小田原まで貸切状態でした。
↑コツS81編成:クハ111-2156(05.09.25 熱海駅)
[国府津区コツK48+S81編成]
↑東京
15:Tc111-2156
14:M 113-1119
13:M'112-1119
12:Tc111-2068
11:Tc111-219
10:M 113-238
9:M'112-238
8:T 111-1505
7:M 113-237
6:M'112-237
5:Ts110-1225
4:Tsd124-19
3:M 113-1506
2:M'112-1506
1:Tc111-2062
↓熱海
貸切だったので、久々に窓を全開にして、相模灘の景色を楽しみました。
電車で窓を開けるなんて何年ぶりかなあ…。
この区間は、景色が良いことはもちろんですが、自分にとっては思い入れのある区間でもありました。
この区間を最初に通ったのは1990年、初めて青春18きっぷで大垣夜行(現:ムーンライトながら)で出かけた帰りでした。
見慣れない電車たちを楽しみながらも、初の一人での長旅でかるく緊張していたのか、静岡で見慣れたJR東の113系に乗り換えたときはほっと一息ついた記憶があります。
そして熱海を出発した後、一面に広がる夕暮れ間近の相模灘を見下ろす絶景には、本当に感動しました。旅のフィナーレとして最高の思い出を提供してくれました。
それ以来何度もこの区間は通りましたが、いつも113系とこの景色を最後に堪能することが楽しみの一つでした。
今でも景色自体はそのままですが、媒介となる113系がいなくなってしまい、何となく魅力に欠けてしまったようなそんな気もします…。
↑113系同士のすれ違い。あと何回残っているのだろうか(05.09.25 真鶴-根府川)
↑窓が開いているので風の音がうるさいですが、海と113系の景色(05.09.25 根府川-早川)
↑国府津でアクティーを退避するため小休止(05.09.25 国府津駅)
一面の海から、住宅地、横須賀線や京急との併走、そしてダイナミックな都心へと進む、景色の移り変わりも好きでした。
幸い、アクティーの続行になったため、大きく混むことはなく、15:46に東京駅へ到着。小旅行はおしまいです。
↑104.6キロお疲れ様(05.09.25 東京駅)
↑コツK48編成:クハ111-2062(05.09.25 東京駅)
折り返し16:03発849Mで熱海へ戻ります。
まだ113系がありふれていた頃の良き思い出でした。
この後、113系は加速度的にその数を減らしていきます。
■本館記事(http://tamazo-diary.seesaa.net/article/15747826.html)もご覧ください。