たまの乗り物日記

乗り物(飛行機,鉄道,バスなど)に関する記事を紹介しています。

東海道線113系の運用を調べる

東海道線113系は長く全体の3分の2を占めていたとはいえ、3分の1は211系だったので運が悪ければ外れる可能性があります。このためどの時間に113系が来るかは重要でした。

211系か113系かというだけであれば調査は簡単でした。まず基本編成のみの場合10両であれば211系、11両であれば113系です。それ以外であっても、JRRの普通列車編成表を買ったり、東京や横浜などのホームの柱に貼ってある業務用時刻表には車種が書いてあるのでそれを調べれば簡単に判別できました。

#余談ながら、業務用時刻表はその日限りの突発的な車両運用もしっかり対応しているため、113系が他の車両に変わってしまうときなどにはよくチラ見させていただきました…。

 

さて2004年以降はE231系が入り、113系を置き換えていきます。これだと当日にならないと車種がわからなくなってしまいましたが、113系が来やすい運用というのは比較的最期まで判別可能でした。

東海道線の運用は、平塚以西国府津・小田原・熱海、変わったところでは品川での付属4両増解結や、御殿場線への付属のみ直通などがあり結構頻繁に付属編成が切り離されていました。

当然増解結の際は同じ車種とつながる必要があります。なので安易に突然この日だけE231系になってしまうという事態が起こると困ることになります。

そこで2004年の改正で東海道線113系はいくつかの群に分けられ、終日15両の群と、分割併合が行われる群に大別されました。

まず終日15両の群にE231系を投入し、113系を置き換えます。終日15両なので、ある日だけE231系であっても問題ありません。分割併合する群は113系のみ使われます。

2005年秋、E231系が一定数に達した時点でこのパターンが逆転します。分割併合する群はE231系が担当し、終日15両が113系となりました。

したがってこの時点までは、113系のみ来る運用が決まっていたので、それを狙えば良かったことになります。

これは横須賀線総武快速線でも113系からE217系に置き換わる際同じ手法を取られていました。113系のみだった頃は、逗子で切り離した付属編成は基本編成が久里浜まで往復するのを待たずに別の基本編成と併合することが基本だったのですが、同じような問題から運用が変わりました。

ただし横須賀線の場合は久里浜まで往復するのにさほどの時間がかからないことから、付属編成を逗子切り離した後、久里浜を往復して戻ってくるまでの間、車庫で待機し、切り離した編成に必ず戻るようになっていました。

なお現在は切り離した編成を待つことなく別の編成に増結する元のパターンが復活し、鎌倉車と幕張車が混在するパターンも多く見られるようになりました。まあ、幕張車という用語は過去の言葉になってしまいましたが…。

 

さて2004年秋以降は、終日15両の群に対して引き続きE231系が投入されるため113系が来るのかE231系が来るのかがわからなくなります。

あとは運用を調べるしかないのですが、横須賀線総武快速線で書いたように、東海道線列車番号が運用番号になっていないため、時刻表だけでは判別できません。

しかし時代はインターネット時代。どこから調べたのか運用番号の一覧表がネットで公開され、日々の運用情報が掲示板等で情報交換されていたために比較的容易に113系を捕まえることが出来ました。ただし列車番号を見れば運用番号がわかる横須賀線総武快速線と違い、運用番号と列車番号を読み替える対照表を用意する必要がありちょっと面倒でした。

あと幸いだったのは、最終的に4本が残った際に運用が固定化されていたことでした。横須賀線総武快速線は最終日まで日々の運用が変わっていたのですが、最終日を除きほぼ固定化されたため、最終日間際は多数の追っかけが出没することになりました。

なお最終日は驚きの運用変更がありましたが(これは別途書きたいと思います)当然?ネット上で情報が公開されておりました…。これはいいのか悪いのかは何とも言えませんが。。。

 

113_083.JPG

↑最後の最後で見ることの出来た増結風景。2005年秋以降113系の増解結は見ることが出来なかった(06.03.17 国府津駅

 

昔、横須賀線総武快速線を少ない愛好家で追いかけていた頃を思うと、便利な時代になったものだなあと思いました。