たまの乗り物日記

乗り物(飛行機,鉄道,バスなど)に関する記事を紹介しています。

99年12月3日最終日(3)午後-さよなら-

99年12月3日最終日(2)午前 の続き、最終日の午後の話です。

tamazo-vehicle.hatenablog.com

研修は予定通り17時に終わりましたので会社のことなどすっかり忘れて(笑)113系を追っかけることにしました。
この最終日ですが、3編成ともヘッドマークなどの掲示はなく、マリ113編成のグリーン帯を除けば全く普段通りの姿で最終日の仕事をこなしていました。一説によると11月23日のさようなら快速113系号の際、下総中山駅で写真撮影組がトラブルを起こしそれに激怒した千葉支社が最終日のヘッドマークなどを引き上げたという話がありました。千葉支社絡みではその後103系や201系の引退でも全くイベントが行われなかったということもあるのでもしかしたらこれが真実かもしれませんが、個人的にはイベントはイベントでヘッドマーク掲示するのはいいけれど、通常運用の最終日は普段の姿で見送ったほうがいいと思っており、そういう意味で当線の113系引退は理想的な姿だったと考えています。東海道線113系が最終日前にヘッドマークがつけられ大きな話題になりましたが、私はあんまり良い思いはしませんでした。

さて17時の時点では残るは73・79運用の2本になっていました。まず船橋へ向かい、はるばる大原からやって来る1772Fに乗ることにしました。本当なら最後の外房快速に乗りたかったですがこれはやむを得ません。
夕方の上り列車なのですいていて、夕闇の中複々線を快調に飛ばして行きました。 19:44西大井で下車し、最後尾を撮影し73運用とはここでお別れです。1773Sは逗子から回送で大船区に入りもう東京方面へ戻ることはないのででした。

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↑マリ109編成:クハ111-1113(99.12.03 西大井駅

今度は西大井19:56発の1878S快速成田空港行に乗ります。総武快速線に入る113系は79運用のみとなり、この編成が成田空港を往復し津田沼駅に到着した時点で113系はおしまいです。いよいよ終わりが見えてきました。

最終日の79運用、そして113系の最後を飾る編成は102+208編成です。

[幕張区マリ102+208編成]
↑千葉
11:Tc111-1093
10:M 113-1258
9:M'112-1258
8:T 111-2009
7:M 113-1259
6:M'112-1259
5:Ts110-1253
4:Ts110-1236
3:M 113-1194
2:M'112-1194
1:Tc111-1410
増4:Tc111-1081
増3:M 113-1076
増2:M'112-1076
増1:Tc111-1437
久里浜

最後の編成は更新車主体の編成でちょっとがっかりではありますが、両先頭車とも前面強化されていない編成で(正確には11号車はされているのですが、昔ながらの強化方法のためほとんど目立たない)それは何よりでした。

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↑これが最後の「エアポート成田:成田空港」方向幕(99.12.03 西大井駅

西大井を発車し、カーブを切りながら品川駅に向かいます。その時横須賀線113系はこの列車を持って終了となります」という放送が流れました。
この日は朝から本当にいつも通りの日々で、113系についてJRがコメントしたのを聞いたのはこれが初めてでした。この車掌に対して感謝するとともに、もはや横須賀線を走る113系はなくなったのか…と思うと悲しさを禁じえませんでした。
しかし品川駅に着くとどっと通勤客が乗り込み、またいつもの夜の光景に戻りました。 総武快速線に入り複々線を一路東進し、船橋駅に到着。一旦下車して京成沿線の自宅に帰って夕食を取り、夕食後再度出陣することにします。

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↑マリ208編成:クハ111-1437(99.12.03 船橋駅

船橋駅下りホームを113系が走るのはこれを見送るとあと1回 夕食を取りネットで情報収集した後再び出発しまずは千葉駅へ向かいます。ここで成田空港からやってくる2278Fを出迎えます。

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↑マリ208編成:クハ111-1437(99.12.03 千葉駅)

さすがにこの時間の快速は成田空港始発であってもガラガラです。車内はひと目でわかるカメラやビデオを持ったヲタがあちこちにおりましたが全体からすれば微々たる数でした。
増結編成に座った私はボックス席を占拠して最後の複々線を快走する上り快速の景色を堪能しました。103系と競争を繰り広げ、わずかながらクロスシートに座り旅行気分に浸った総武快速線113系ともいよいよお別れのときが近づいてきます。

23:41に東京地下駅へ到着。折り返し2379Fを持って113系の運用は終了です。

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↑LED発車案内は最後まで基本が3ドアであった(99.12.03 東京駅)

東京駅のLED発車案内は113系[快速(15両)]E217系[快速(15両4ドア)]というように3ドア=113系については注釈がついてなく、それが最後の最後まで続きました。113系の方が基本であるという証明のようで嬉しかったです。 なお12月4日以降、しばらくは全て[快速(15両4ドア)]といつ113系が復活しても問題ない(笑)ようにそのままの表示だったのですが、ATOS導入に伴いこの表示は姿を消しました。

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↑2379Fとして発車を待つマリ208編成(99.12.03 東京駅)

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津田沼行方向幕。今やこの表示をする車両はいなくなってしまった(99.12.03 東京駅)

東京駅は熱心なファンが何人もいましたが実際に乗車する人は多くありませんでした。何しろ津田沼着0:19だと東京方面に戻るすべがないのです。私も最寄り駅には帰れないのですが、最終の特急で近くの駅までは戻れるのが幸いでした。一方の東海道線は23時を過ぎてもお祭り騒ぎで、この頃を思うと対象的だったように思います。

そろそろ忘年会も近づくシーズンであり、普段通り酔い客を乗せ23:50に2379Fは東京駅を出発しました。出発時にホームで拍手をして見送ったファンがいたのがとても印象に残っています。

当線の113系を特徴づけるひとつの要因であった地下トンネルをゆっくりと進んでいきます。今やATCATS-Pとなり特別な路線ではなくなってしまいましたが、ATC付の113系というのはとても優秀なイメージがあったものでした。

さて両国駅隣で地上に出て錦糸町駅に向かってしずしずと進んでいくわけですが、ここでトラブル発生。何とかしたことか前に座っていた女性が携帯で電話を始めたのでした。内容は深夜にありがちなどうでもいい話で終わる気配もなく、あまりにぶちきれた私は注意しました。たぶんその時の形相はとんでもなく恐ろしかったらしくその女性はすぐにやめてその後は静かにしてくれましたが、せっかくの最終運用が台無しになってしまい個人的にはすごく残念な気分でした。私は携帯を車内で使う奴らがどうしても許せないのですがその一端はこの時の出来事に起因しているのでしょう。

錦糸町駅緩行線からの乗り換え客を乗せ、2379Fは快調に複々線を飛ばしていきます。日付は24時を過ぎ12月4日になりました。もう明日の朝には新ダイヤで113系が走らないというのは悲しいものです。 窓を押し付けて113系の姿をよく見ていた小岩の大カーブや、直線区間を目いっぱい飛ばす市川-船橋間もこれが最後です。特に後者は明日から120km/h運転になるので、もはや113系はスジには乗れないのです。

いつも自分も乗り降りする船橋で大量の後者客を降ろし車内が静かになった2379Fは、東船橋付近の切通しを進んでスピードを落とし、ゆっくりと津田沼駅1番線に入線しました。時刻は0:19。これで全ての運用が終了です。


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津田沼駅に到着。この列車は回送になり幕張へ引き上げる(99.12.04 津田沼駅

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↑マリ102編成:クハ111-1093。最後までお疲れ様でした(99.12.04 津田沼駅

津田沼駅では数人のファンが最後まで追いかけてました。 やがてドアが閉まり、幕張区へ向けて回送となりゆっくりと出発します。

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↑幕張区へ向かう。今までありがとう(99.12.04 津田沼駅

津田沼駅の端から、テールランプが見えなくなるまで見送りました…。

いつかはこの日が来るとは思っていましたが、最後の1年ほどは普段の姿からイベントまで、ずっと113系を追いかけることができ、また最後の列車まで見送ることができたので、悲しいけれど充実感はあったなと思いました。

この後京成津田沼駅まで歩き、特急に乗って帰途に着きました。最寄り駅には止まらないので何駅か歩いて帰りましたが、その時には113系のこれまでの思い出を振り返り感謝の気持ちでいっぱいだったと記憶しています。

ということで、長い長い1日が終わり、横須賀線総武快速線113系はその歴史に幕を下ろしたのでした。