たまの乗り物日記

乗り物(飛行機,鉄道,バスなど)に関する記事を紹介しています。

大船区の113系

横須賀線総武快速線113系大船電車区(南フナ⇒東フナ⇒横フナ)幕張電車区(千マリ)の2電車区が受け持っていました。

元々同じ113系なので大して差はないのですが、編成数が2:1で幕張区の方が少なかったこと、そのせいなのか房総ローカルの113系よりも格上だったからか整備状況が幕張区の方が綺麗だったこと、そして最後まで残ったのが幕張区の編成だったので私は幕張区の113系の方が好きでした。 しかしE217系投入前の当線で存在感があったのは大船区の113系であったことは間違いありません。もっとも私が写真を撮り始めたのが98年からなので、必然的に幕張区の113系の方が枚数が多く、大船区の113系の写真はそれほど多くないのが残念です。

ちなみに113系に興味のない利用者でも、大船か幕張か一発で見分ける方法はありました。幕張区の113系東京近郊区間路線図以外に房総ローカルの路線図掲示してあったのです。


↑幕張区の113系のみ掲示されていた総武・房総路線図

特に付属編成は間合い運用で房総ローカルに入ることもよくあったので、全区間載っていない東京近郊区間路線図だけでは用を成さないのでした。 なおE217系は幕張区の車両であっても房総ローカルの路線図は掲示されていません。

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↑フナY13編成(新小岩駅


↑フナY7編成(市川駅

大船区の113系がまだ現役だった頃の写真です。最もこの時点では数えるほどしか113系は残っていませんでした。 大船区の113系は左窓の編成札が白色で「Y**」と書かれていたのが特徴です。幕張区は黄色で「***」となっています。小さな違いですが写真に撮ってみると意外に大きな違いになるのです。

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↑フナY56編成:クハ111-1375(98.09.18 津田沼駅

大船区の113系ですが、末期にはトイレの上に設置している方向幕が使用停止になっていました。これはトイレから方向幕を抜き取る不届き者対策として横浜支社で実施していたもので、後に国府津113系にも波及しました。ただし大船区はサハのトイレまでは実施してなかったと記憶しています。 せっかくの方向幕なのにこんなことをされてしまい、個人的には残念な気分でした。

なお幕張区はそんなことは気にしないのか今でも普通に使っています。大船や国府津から転属した車両はきちんと機能を復活させているものもあるようです。

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ロングシート改造車

90年に大船区の113系に2階建てグリーン車が入りましたが、この編成の2,3,6,7号車はロングシート改造されました。
当時の113・115系は編成丸ごとロングシート改造車が続々と増え、ファンの間ではその賛否について激論が交わされており、私もいつ横須賀線総武快速線に波及するのか…と気をもんでいたのですが、当線の場合は2階建てグリーン車がついていて、なおかつグリーン車の前後2両だけ外せばセミクロスという、選択の余地が明確にあったので不満もほとんどなく大変助かる存在でした。

E217系ではこの比率は逆転しますが9-11号車にはクロスシートが残り、現在のE231系E531系もクロスシートが残っていますが、その原型はこの2階建てグリーン車編成であったと思います。 さて私が写真を撮り始めた頃はすでに2階建てグリーン車は全て国府津へ転属しておりましたが、前後に残ったロングシート車は終焉まで残っていました。

散々毛嫌いしていたロングシート車も、実際に通勤通学で使うとなると実にふかふかしたすわり心地の良いシートであり、品川から船橋まで寝て帰ろうとする際にはよく重宝していました。 大船区の113系は98年12月改正で全て撤退し、E217系になりました。

その大船区ですが、大船工場と合併して鎌倉総合車両所となり、さらに工場部門は今年3月末で閉鎖、そして今月、かねてから噂のあった幕張区改め幕張車両センターからのE217系移管が行われ、2電車区体制も過去の話になり、現在は全て鎌倉所属になっています。時代の流れは大変早いものと実感します。
ただし、幕張からの移管の際編成番号の整理が行われたのですが、元々鎌倉車が使っていた「F-**」でも、幕張車が使っていた「R-**」でもなく、かつて大船区の113系が使っていた「Y-***」になったのは、時代は繰り返す…ということでしょうか。きっと鎌倉の人もY-***に愛着があったのでしょうね。