THE FINAL!! 113! 「思い出の113系写真展」(2011年9月23日)
THE FINAL!! 113!の出発駅である両国駅3番線ホームに向かう通路にて、2011年9月23日~24日の2日間、「思い出の113系写真展」が行われていました。
沢山の懐かしい113系や房総を走った列車の写真が飾られていましたが、何枚か写真に収めたのでご紹介します。
目次
横須賀線・総武快速線直通前後の頃
ご存じの通り、横須賀線と総武快速線が直通運転を開始する1980年10月より前は両線は別系統でした。
これは東海道線の地上区間、恐らく田町あたりを走る横須賀線です。
千葉駅でしょうか?入線する快速青い海号です。総武快速線は横須賀線との直通前は「快速」の表示がされていました。ただ自分の記憶では横須賀線との直通が開始し、グリーン車が連結された後も「快速」表示された電車を見た記憶があります。
総武快速線は1972年の開業時は7両+4両の11両編成で運行開始しましたが、混雑が激しくなったため1976年の品川延長時に一部の編成が2両増結した13両編成になりました。横須賀線との直通時にグリーン車がさらに連結され現在の基本11+付属4両となったのですが、13両編成がなくなる際にこのようなさよなら掲示があったようです。
自分はもちろん13両編成が存在していたことは知っていましたが、こんな掲示がされていた写真は知りませんでした。
湘南色のサロ113です。1973年に成田空港延長を見越して投入されたサロ113は、横須賀線では定員の少なさが嫌われ高槻に転出し京阪神の東海道線で使われていましたが、1980年10月の京阪神のグリーン車廃止とともに再び東上し、主に幕張の編成に連結されました。しばらくは湘南色どころか「大タツ」の表記のまま走っていたそうです。
サロ113は1998年まで横須賀線・総武快速線を走っていました。以下の記事もご覧ください。
国鉄時代の転入車両
房総を走る113系は1969年以降一貫してスカ色でしたが、転入の都合でしばらくは異なる色で走ったこともありました。
房総を走る湘南色と言えば末期の117・S62編成が記憶に新しいですが、ちょこちょこと湘南色の車両は転入されていました。
驚きなのは阪和色の113系です。これは1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で普通列車を増発するために日根野区から113系先頭車が転入したものです。鉄道ピクトリアルの記事でこの塗装の車両が走っていたことは知ってましたが、こんな写真を最後の写真展で展示するあたり千葉支社の思慮深さには頭が上がりませんね。
荷物電車の活躍
房総では1986年の郵便・荷物輸送からの撤退後も専用車両のクモユニ143を使った新聞輸送の運用が1996年まで残りました。
これは1986年の転入時の写真でしょうか。もともとは身延線用だったクモユニ143形ですが、1996年まで活躍した後、一部は2019年まで長野で入れ替えや職員輸送列車として使われ、113系廃車時には束の間の再会を果たしていました。
1986年までは72系を改造した旧型のクモユニ74形が使用されていましたが、引退にあたり「おもいでのメイルトレイン」なるイベント列車が走ったようです。これはクモユニ74に183系を連結した10両編成だったらしく、今考えるととんでもない列車ですね。
鉄仮面
1992年に成田線大菅踏切で113系とダンプカーが衝突し運転士が死亡する事故が発生し、1973年以前に製造された車両に前面強化が図られることになりました。その際工期短縮のため塗装を省略しステンレスに帯だけ貼っただけの姿で出場したため、これらの車両は通称「鉄仮面」と呼ばれるようになりました。
当時は本当に衝撃で、113系がこんな姿になってしまうのかと落胆したものですが、定期入場時にきちんと塗装され、多少いかつい姿にはなってしまいましたが、落胆は杞憂に終わりました。
ただ、落胆したが故に自分は1枚も写真に撮ってません。今であればスマホで写真を撮れるのですが、当時はフィルムの時代ですから、こんな姿の車両を記録に残す気などおきませんでした。
鉄仮面化により、前照灯がシールドビーム化されていないいわゆるデカ目の先頭車は全て改造されて消滅しました。思えばこの姿の113系の記録もほとんどして来なかったのですよね。この時代の車両を記録してきた先人の方々は本当に尊敬します。
特色ある列車たち
2001年にNHKのキャラクターどーもくんの装飾を施した「どーも君号」が走りました。この写真、前面が「総武線」になっていますね。
113系の隣に583系が止まっています。恐らく2010年に銚子まで走った犬吠号ではないかと思うのですが、 今思うと583系はちょこちょこ房総に来ていましたね。中でも思い出深いのは、1991年の成田空港駅開業後に運転された「ウイングはくつる」です。一体この列車で海外旅行に行った人はどれだけいたんでしょうかね…。
ちょこちょこ団体や臨時列車で入線した185系ですが、この写真では「わかしお」のようなヘッドマークがされています。これは2011年1月に走った「おいでよ房総! 185系クイズ列車の旅」だそうです。全くこんな列車が走ったこと、知りませんでした。
京葉線を走った試験車両E331系とのツーショットです。連接台車による14両編成を組んでいましたが結局量産化されずに廃車となりました。自分は結局一度も乗ることも見ることもなかったですね…。
2010年夏、最初の3日間だけ走ったS70編成による快速白い砂号です。今思うとなぜこの3日間写真を撮りにいかなかったのか、改めて悔やまれますね。
この写真はお弁当の包み紙でも使われましたね。幕張の113系と言えばこの1000'番代ですが、残念ながら最後のイベントでは登場することはありませんでした。
終わりに
このほかにも沢山写真がありましたが、千葉支社がその時々の趣味的に盛り上がった車両の記録をきちんと保存していたのには本当に素晴らしいと思います。また機会があればこのような写真展を開いてほしいです。
THE FINAL!! 113! 総武本線・成田線の旅(2011年9月23日)
THE FINAL!!113!
113 系車両引退記念イベントを実施します!
「THE FINAL!! 113!」
https://www.jreast.co.jp/chiba/news/pdf/20110810final113kei.pdf
JR 東日本千葉支社では、国鉄時代から房総各方面で活躍した113 系車両の定期列車での運行は8 月末頃終了を予定していますが、9 月23 日(金・祝)・9月24 日(土)に引退記念イベント「THE FINAL!!113!」を実施いたします。
113 系車両を使用した引退記念旅行商品を3 コースご用意し、113 系との最後の旅をお楽しみいただけるほか、期間中は両国駅3 番線ホームにて「鉄道グッズ・車両部品即売会」や「思い出の113 系」写真展を開催いたします。
2011年8月10日に発表されたこのリリースにより、113系の最終運用は定期列車ではなく、9月23日に8両で総武・成田線、24日が4両で外房・内房線を走る団体列車になりました。
自分は9月24日の外房線に乗ることにして、9月23日の総武線・成田線コースは撮り鉄することにしました。この日の様子を振り返りたいと思います。
目次
市川駅で送り込み撮影
まずは送り込み回送を市川駅で動画撮影します。
2011.09.23 THE FINAL!! 113! 回9330M・市川駅
ホーム両端は集団ができていたので、ホーム中ほどで撮影します。
今日の列車は最終運用と同じ217+116編成で、しかもヘッドマークも定期列車と同じありがとうヘッドマークでした。
9月18日・19日に116編成は横須賀線で走った時ヘッドマークが外されたので何か起きるかなと思ったら結局何も起こりませんでした。これだったら今日は幕張以遠は9月1日より前の写真と何も変わらないですね。
しかし、送り込みだというのに人が多かったです。
大混雑の両国駅
錦糸町駅で各駅に乗り両国駅へ向かうと…想像以上に混んでました。
臨時ホームは2010年の快速白い砂号以来1年ぶりでしたが、連絡通路は物販の長い列に乗車受付の列に撮り鉄達が入り混じり大混雑でした。
ホームは完全な無秩序状態で、特に千葉方先頭が酷かったです。何とか隙間を縫って撮ったがこれが限界でした。
正直、こんな混雑の中9月1日まで普通に走っていた車両を撮る意味あったのかな…とちょっと両国に来たのを後悔してしまいました。まあ、自分も混雑を悪化させた張本人の一人なのであまり言えた立場ではないのですが、この混雑を考えると専用ホームのある両国駅から団体列車で走らせるほうが安全なんでしょうね。
物販を買う時間もなさそうなので緩行線の車内から先頭車の写真(惨状?)を撮って、早々に両国を後にします。
再び市川駅
市川では下り列車を写真撮影することにします。
有名な東京方ホーム先端は超大混雑だったので再びホームの真ん中での撮影です。
予想よりスピードが速くて特に後追い撮影はブレ気味になってしまいましたが、総武快速線を走る記録は何とかできたかなと思います。
津田沼駅
後続の快速エアポート成田に乗って津田沼へ向かいます。
この列車、津田沼で今回の団臨を追い越すので、再度写真撮影ができるのです。
津田沼に着き、急いで3番線ホームへ。
津田沼は意外に人はいなくてまったりしていました。橋上駅舎なので編成を撮るのには向いてない駅ではありますが、両国よりははるかにまともな写真が撮れるのに…と思ってしまいました。
2011.09.23 THE FINAL!! 113! 9331M・津田沼駅
ゆっくりと出発する団臨を見送って、午前のミッションは終了です。
再び津田沼駅
この後は家族サービスをしていたのですが、ちょうど夕方津田沼にいたので、16:17頃に通過するはずの上り列車を撮影することにしました。
ホーム先端での撮影ではなかったのと、だいぶ日が落ちてきて、逆光気味の後追いがブレてしまいましたが、走行シーンの撮影ができて満足です。
今日は全体的に混んでいて、周囲もなんとなくギスギスした雰囲気が漂い、あまり満足感は高くなかったのが正直なところですが、今日が8両編成で運行されるラストであり、またヘッドマーク付編成を総武快速線で撮ることができたので良かったです。
■本ブログ記事は以下の本館記事を再構成したものです。
ありがとう113系横須賀線の旅(2011年9月19日)
団塊世代運んだ「スカ色」113系最後のご奉公 24日にラストラン
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110919/trd11091921290023-n1.htm(リンク切れ)
半世紀にわたってJR横須賀線などを走り、団塊世代を職場や自宅に運んできた113系が完全に引退することになり、19日、横須賀線で最後の力走を見せた。高度経済成長を支えた名車両を多くの鉄道ファンが見送った。
クリーム色の車体に紺色の帯をまとったスマートなカラーリングは、路線名にちなんで「スカ色」と呼ばれ親しまれた。昭和38年にデビューし、平成11年まで横須賀線と総武快速線で運行。その後は千葉県内のローカル線で“第2の人生”を送り、今年8月末に営業運転から退いていた。
18、19日に2日間限りで12年ぶりに復活。記念列車の参加費用は記念品などの特典が付いて大人1万1300円だが、人気は根強くほぼ完売したという。
2011年9月1日に定期運用を終えた幕張区の113系であるが、スカ色発祥の地、横須賀線を9月18日と19日に団体列車「ありがとう113系横須賀線の旅」として走りました。
その値段は方向幕のレプリカ付きとはいえ11,300円とちと高かったので乗車は見送りましたが、最後の横須賀線113系らしい姿を見たくてデジイチを持って俄か「撮り鉄」をすることにしました。
ただ問題はダイヤがさっぱりわからなかったところで、本当は3連休後を考えると初日の9月18日が良かったのですが、9月15日発売の鉄道ダイヤ情報ですら詳細な時刻が載ってないというミステリーぶりだったので、9月18日のネット上の戦果を分析して19日に臨むこととしました。
その模様を振り返ってみたいと思います。
目次
9:43 有楽町駅
まずは東京駅への送り込み回送を、1999年11月の「横須賀線113系メモリアル号」や、2009年10月の「懐かしの113系電車」などで狙ったことのある有楽町駅で迎えることにしました。
ここはいつもあまり人が多くなく、また今日は東京9:42発の下り出発待ちで最徐行だったので余裕を持って撮影できました。
今日の車両はありがとうヘッドマーク付編成の116編成でした。この編成は元東海道線でもラストランで使われた横浜支社には縁のある車両ではあるのですが、横須賀線には縁のある車両ではなかったのがちょっと残念でした。
幕張には総武快速・横須賀線時代から使われていた先頭車が113系1000番代の211編成がまだ残っているので、こっちを使ってくれればよかったのにと思ったのですが、予備車として残っているだけだったので無理なのでしょう。
9:50 東京駅
急いで山手線に乗り東京駅へ。
東京駅は予想通りの混雑で横須賀方は撮影できず、人ごみをかき分け東京方をなんとか撮影します。東京駅に113系が入るのもいよいよ今日で最後ですね。
一通り写真を撮って7番線へ急ぎ、9:52発の東海道線で南下します。
東海道線の普通電車に乗るのは2006年3月に113系がいなくなって以来たぶん初めて。昔はあれほど出かけていたのに、もう横須賀線に行くこともしばらくないかもですね…。
11:01 円覚寺第1踏切
横浜で横須賀線に乗り換え、10:50に北鎌倉に到着し、円覚寺へ向かいます。
今回どうしても撮りたかったのがここ、円覚寺第1踏切。
円覚寺境内を突っ切る踏切と木々がいかにも鎌倉らしく、12年前の113系引退のときも何度となく訪れた場所ですが、総門側からは撮ったことがなく、まさにラストチャンスなのです。
何故か反対の白鷺池側が人気のようで、こちら側は数人でした。
このアングルだと動画の方がいいかと思い、スマホで動画撮影することにしましたが…。
2011.09.19 ありがとう113系9721M・円覚寺第1踏切
大成功!と思いきや、左隅に自分の手が…まあ、それを除けば予定通りで満足です。
北鎌倉駅へ戻り、さらに南下します。
11:42 横須賀駅
横須賀駅に来るのは2003年のよこすか開国祭り以来、8年ぶりです。
ホームは到着後だいぶ経っているにも関わらず混んでおり、望遠レンズも使いながら撮影しますが、過去のイベントと比べるとやはり4両編成は短いですね。また架線柱が建て替えられ邪魔になってしまっているのもちょっと残念でした。
今回の116編成はヘッドマークは掲出されていなかったのですが、編成札にはそれぞれ別デザインの「ありがとう」札が掲げられていました。そして助手席側には花束も…。
12:53 軍港バックの俯瞰撮影地
昼食をとり、鎌倉車両センターへ向かう上り列車を撮るべく、田浦方へ。
横須賀線で唯一海を絡めて写真が撮れる有名スポットで113系を撮ることにした。
ここは1999年11月23日に走ったさようなら快速113系号に乗った12年前にも来たことがあります。
この撮影地はこのあたりです。
一目でわかる大集団が山の中腹に…。
総勢30名以上はいたでしょうか。ちょっとびっくりですが、何とかこのカメラの放列の隙間を縫って撮影します。
何とか様になった1枚。
本当はもっと引いて海の割合を増やしたかったのだが、他の人が入ってしまうので断念しました。
しかし、12年前は全く人がいなかった記憶があるのですが、何で今回こんなに人が多かったのでしょうかね…。
あと、やっぱ12年前の11両の写真と比べてしまうと、やはり4両ってのはイマイチ迫力がないのが残念なところですが、とはいえ、最後の最後でもう1回ここに来れて満足です。
14:20 再び北鎌倉駅
午後は午前に撮った円覚寺第1踏切の反対側から撮ろうと思ったのですが…
すごい人…。
この先の踏切は駅入口と円覚寺を結ぶ普通に人が通るところですが、まさかこんなところで踏切待ちなんてしないよなオーラが漂ってました…。
午後の日差しが強かったこともあり、この場所は諦めて、障害物が多くてちょっとイマイチなのですがこ北鎌倉駅と第1踏切の間の線路際から撮ることにしました。
さて、鎌倉車両センターからの下り列車を狙います。
やはり障害物に囲まれていまい、4両全部を入れられなかったのが残念ですが、いかにも鎌倉らしい写真が撮れたのかなと思うので満足です。
鎌倉での撮影はこれで終了し、円覚寺をちょっと見物して、15:03発の上総一ノ宮行に乗り、戸塚で東海道線に、川崎で京浜東北線に乗り継ぎ、最後の目的地へ向かいます。
15:46 大森駅
今回の列車は、往路は現在の横須賀線が走る品鶴線経由、復路は東海道線経由でした。
ダイヤを見ると、戸塚から先は往年のダイヤ並みに突っ走るようなので、走行シーンを動画撮影することにします。
昨日のネット上の報告を分析する限り、大森駅が被らなそうだったのでここで撮影することにしました。ここは有名撮影ポイントではないので、自分以外にはもう1人しかいませんでした。
4両なのでモーターの唸りが続かないのが残念でしたが、バッチリでした!
これで当初考えていた予定はすべて終了です。日中の真夏のような暑さは想像以上に体に響きましたが楽しい1日でした。ただこれでいよいよ横須賀線からも113系が去り、JR東日本の113系の活躍も終わりが近づいてきました。
■本ブログ記事は以下の本館記事を再構成したものです。
E217系未更新車
1994年12月に横須賀線・総武快速線で運用を開始し、1999年12月の113系撤退後現在に至るまで同線の主力として活躍してきたE217系ですが、今年後継のE235系が登場し、来年より置き換えが開始されることとなりました。
月日が経つのは速いものですが、ここでは2012年まで活躍したE217系未更新車を振り返ることにしたいと思います。
↑クラF73編成:クハE216-2025(06.03.31 東京駅)
目次
伝統あるスカ色
E217系は4扉でロングシートというこれまでの113系と全く違う様式の車両だったのですが、帯はこれまでの青15号+クリーム1号のスカ色を引き継いでくれていました。
↑横須賀線開業120周年HMを装着したクラY-118編成:クハE216-1018(09.09.05 津田沼駅)
↑クラY-5編成:サロE217-5(11.09.19 市川駅)
しかも、この帯はよく見ると113系がまとっていたスカ色の青とクリームの割合とほぼ同じであり、しかも屋根下の細いラインまでが(反転はしていたものの)この比率を維持していました。
↑クラY-5編成+Y-110編成の未更新車同士の連結(07.01.07 千葉駅)
正面のE217ロゴ
また、正面のE217ロゴをスカ色の帯をうまく使った秀逸なデザインで、正面の顔つきをより静観にしてくれたものでした。
↑クラY-18編成:クハE216-2053(11.09.19 逗子駅)
行先方向幕
初期の車両は行先方向幕は字幕式でした。ただし209系0番台が国鉄形書体を継続していたのに、E217系は国鉄形書体ではなく、なぜマイナーチェンジしたのか残念でした。
↑クラY-118編成:クハE217-2018(09.09.05 津田沼駅)
↑久里浜行の方向幕(06.12.30)
↑千葉行の方向幕(07.01.07 千葉駅)
↑今は列車愛称がなくなったエアポート成田:成田空港行の方向幕(07.01.02 千葉駅)
なお行先方向幕に関しては未更新車すべての車両が字幕式ではなく、1998年製の車両からはLED化されて登場しました。また、一時期東海道線に転出した車両はなぜか国鉄形書体の方向幕が使われていました。
更新車でこれらの特徴は全て消滅
これらの特徴は2007年より開始された更新工事で全て消滅しました。一番先に消滅したのは方向幕で、更新工事を待たずに2010年に未更新車を含め全てLED化されました。
スカ色の帯は、更新時に明るい色合いに変わってしまい、帯の青とクリームの割合も、屋根下の帯は青~クリーム~青からクリーム~青のシンプルな塗分けにされてしまいました。その際にE217ロゴもなくなりJRマークに変わってしまいました。ただ、転落防止幌のみは塗装変更をされなかったので、今でも旧スカ帯はかろうじて見ることができます。
機器更新自体は致し方ないとしても、なぜ伝統ある青15号とクリーム1号のスカ色の帯を変えなければならなかったのか、それは本当に残念です。
最後の未更新車
未更新車は2011年10月のY-109編成の入場を持って付属編成からは消滅。基本編成も2012年6月のY-20編成の入場をもって消滅しました。
↑クラY-16編成:クハE216-2049(10.08.06 稲毛駅)
2009年以降、スカートが強化されたため、登場時とは顔つきもやや変わった感じになりました。
↑最後の未更新車付属編成のクラY-109編成:クハE216-1009(11.09.23 津田沼駅)
↑113系引退イベントの日、Y-109編成と組んで未更新車15連で走るクラY-8:クハE217-8(11.09.23 津田沼駅)
【E217系未更新車】Y-109+Y-8編成錦糸町駅出発シーン(2011.09.23)
ちょうど、幕張の113系の引退と同じ時期であり、ファンサービスをしたわけではないのでしょうが113系引退イベント時にE217系の未更新車15両編成がその脇を走っていたりしていたのですが、そちらにカメラを向ける人はほとんどいなかった記憶があります。
【E217系未更新車】津田沼→東船橋通過まで(2011.10.15)
↑未更新車ラスト編成となるクラY-20編成:クハE216-2057(11.10.15 小岩駅)
E235系の時代
E235系は、クロスシートは完全になくなってしまい、かつて113系が走っていた路線の車両というイメージはもはや全くなくなってしまいました。完成予想図を見た時はスカ色の青が濃く、伝統ある色合いの復活かと期待していたのですが、実際はだいぶ藍色に近い青のようです。まあ、青とクリームの帯だけ残るだけでもありがたいのでしょう。
E217系の活躍も残りわずか。色合いこそ変わったものの、近郊型電車らしい特徴ある前面などの魅力は変わりません。まだ関心を示す人が少ない今のうちに記録に残しておきたいなと思います。
↑残りわずかの活躍となったE217系の現在。クラY-2編成:クハE216-2063(20.10.04 下総中山駅)
■本記事は以下サイトの情報を参考にしました。
幕張113系定期運用終了前日(2011年8月)
幕張車両センターの113系は2011年8月末で定期運用終了とアナウンスされていました。
このため8月31日は会社を休んで最後の様子を見送ることにしました。その様子を振り返りたいと思います。
目次
2011年8月31日の運用
最後の113系となったありがとうヘッドマークを掲出した217+116編成は、8月後半は以前紹介した運用を5日単位でローテーションしていました。
しかしこの8月31日の運用は③で、このままでは幕張に戻りません。
ただ朝432Mで8:26に千葉に着いた後、夕方371Mで銚子に向かうまで東千葉の電留線に滞在するため、その間に臨時に車両交換する可能性もなくはないので、朝の列車にお別れ乗車をすることにしました。
432M 成田7:47→千葉8:26
432Mは銚子を6:25に出発し、成田線を経由して8:26に千葉に到着します。
さすがに銚子に前泊する時間はなかったので、朝早起きして京成で成田へ行き、成田から千葉まで乗ることにします。
↑マリ116編成:クハ111-2049(11.08.31 成田駅)
普段通りの房総ローカルで、今日で運用終了とは思えませんね…。
千葉に向かう通勤客でもっと混んでいるかと思いきや、成田でどっと降りたのでボックスに2~3人埋まる程度で、時々通路を歩きまわる葬式厨が目に着く以外は、全く普段通りの普通電車でした。
↑113系から房総の田畑を望むのもこれが最後(11.08.31 酒々井→佐倉)
もうすぐ収穫の時期ですね…。
↑四街道駅0番線で成田エクスプレスの通過待ち(11.08.31 四街道駅)
四街道で多くの乗車があり、やっと通勤電車らしくなりますが、節電で運休中の成田エクスプレスの通過待ちでしばらく停車のため、先頭部はちょっとした撮影大会でした。
↑四街道駅0番線先頭車は撮影大会(11.08.31 四街道駅)
↑マリ217編成:クハ111-242(11.08.31 四街道駅)
8:16に四街道を出発して、千葉へ向かってラストスパート。
定刻、8:26に千葉へ到着し、通勤客を吐き出します。
↑千葉駅9番線に到着し、通勤客を吐き出す(11.08.31 千葉駅)
↑先頭はギャラリーに囲まれる(11.08.31 千葉駅)
↑こちらの先頭もギャラリーに囲まれる(11.08.31 千葉駅)
千葉駅はこの列車が最後だと踏んだギャラリーが多く詰めかけていました。
中にはお手製の「ありがとう」ポスターを掲げる人も…。
列車は東千葉電留線へ…そして
さて、この列車は所定では東千葉の電留線へ向かうのですが、車両交換が行われるとすると幕張へ向かうことになり、その前例もあるようです。
果たして、どちらへ向かうかというと…
↑ヘッドライトは東千葉方が点灯しました(11.08.31 千葉駅)
↑回送列車が東千葉電留線に引き上げていきます(11.08.31 千葉駅)
果たしてヘッドライトが点灯したのは東千葉方…。
そして、所定の通り東千葉へ向かって出発していきました。
ゆるやかなカーブをゆっくりと回送する113系はラストにふさわしい光景のようにも見えますが、これはこの列車がラストではないことを意味するわけで、喜ばしいと言えば喜ばしいが、ラストではないのに会社休んだ自分の立場は…。
ただ東千葉に入庫する編成は何本かあり、ここで変更がある可能性も否定できないので東千葉へ移動してみると…。
↑留置線に引き上げるマリ217編成の方向幕に注目(11.08.31 東千葉駅)
行先方向幕は「銚子(八日市場経由)」そして列車番号は「371M」…
これで夕方の運用も所定通り確定です…。
113系最終運用は9月1日午前
結局この日は所定通り銚子まで一往復半して銚子で滞泊し、翌9月1日、④の運用で銚子→千葉→成田→東千葉電留線→千葉→成東と来て、11:59に千葉着で定期運用が終了、幕張に引き上げ車両交換となり、9月1日午前まで113系が走りました。
あいにく2日連続で会社を休むわけにもいかず、最終運用を見ることができなかったのが大変残念だったのですが、比較的静かな定期運用終了前日の様子を見届けたのは良き思い出です。
この日の様子を動画でまとめましたので宜しければご覧ください。
幕張113系ありがとうヘッドマーク編成に乗車(2011年8月)
2011年8月18日、幕張の113系ありがとうヘッドマーク付編成が内房・外房線運用に入ったので、午後乗り鉄を楽しみました。その模様を振り返りたいと思います。
目次
179M 千葉13:29→木更津14:11
夏休み中毎日販売しているホリデーパスを購入して千葉駅へ行き、まずは内房線で木更津へ向かいます。
3番線で待っていると、やってきました113系が。
昼下がりの下り列車だったので車内はガラガラで、ゆったりと過ごせました。
沿線は多くのカメラを見かけましたが、暑かったからか予想よりはまだ少なかったです。
千葉の駅弁業者、万葉軒では「ありがとう113系記念弁当」を販売していました。
数量限定でしたが、ラスト1個を千葉駅で買うことができ、113系車中で遅い昼食としました。
中は普通の幕の内でしたが、ご飯の上にアサリが乗っているのがいかにも万葉軒らしいですね。
値段は1,000円とちょっと高めですが、ボリュームは結構あって美味しかったです。
内房線をなかなかの快速で飛ばし、14:11木更津着です。
186M 木更津14:42→千葉15:27
木更津では折り返しが30分もあるのでここで113系を撮影します。
人が多く殺伐としている千葉駅よりも余裕があるのが良いですね。
折り返して千葉へ向かいますが、内房線は海側は工業地帯、山側は住宅地と全く景色が異なるので、全く飽きることはなかったです。
すぐ前に快速が走っているので車内もすいていて、113系のモーター音を思う存分堪能できました。
蘇我駅では外房線からの京葉快速との接続待ちでしばらく停車します。
ここの発車票は、「ありがとう113系」とわざわざ表示しているらしいということで降りてみました。
ちょっとわかりづらいですが、「3ドア」の隣に確かに書いてありました。
蘇我駅の粋な計らいが嬉しいですね。
定刻15:27に千葉駅5番線に到着。
折り返しは外房線になります。
265M 千葉15:42→茂原16:21
千葉に戻っても、また下りに乗るというのはなかなか贅沢な旅ですね…。
さすがに千葉駅は最終日でもないのに撮り鉄が多かったです。
学校が始まっていれば混んでいるだろう時間だと思われますが、今日はガラガラで、のんびりとした旅が楽しめました。
西日を浴びながら、16:21に茂原駅に到着です。
276M 茂原16:43→千葉17:28
茂原は昔、毎年白子町へ行く際に利用していたのですが、久しぶりに下車します。もうかれこれ20年ぶりくらいかも…。
1番線での折り返しなので小湊バスが待つロータリーから113系を望みます。いかにも外房エリアらしい景色も、もうすぐおしまいですね…。
夕方の上りだけあって、通勤客やレジャー帰りの集団も乗ってきて賑やかでした。
16:43に出発、再び千葉へ戻ります。
113系は17:34発館山行となって再度内房線を南下します。
これに乗れば恐らく夕暮れの東京湾を見ることができると思われますが、今日はこれで終了です。
終わりに
ずっと電車に乗っていただけでしたが、久々に113系ととことん付き合い充実した半日でした。もうこんな楽しみが味わえないのは残念ですね。
さらば武蔵野線205系~インドネシア・ジャカルタでの活躍~
武蔵野線の205系はまもなく姿を消しますが、廃車になるわけではなく全編成がインドネシア・ジャカルタで活躍することになっています。
ジャカルタ首都圏の鉄道は日本の中古車両が活躍することで一躍有名となり、その中でも205系は今や一大勢力となっていますが、2019年5月、自分もジャカルタを訪れ、武蔵野線205系との再会を果たしましたので、その時の様子を振り返ります。
目次
M29編成・ジャカルタ コタ駅
2019年5月1日、ジョグジャカルタからジャカルタに移動した自分は、オランダ統治時代の建物が残る旧市街、ジャカルタコタへ向かいました。すると、いました、205系5000番台が。
↑元営団6000系と顔を合わせる元M29編成(19.05.01 Jakarta Kota駅)
↑形式番号はそのままだが日本語のモハは削られている(19.05.01 Jakarta Kota駅)
東南アジアらしい賑やかなジャカルタコタ駅に、未だ日本で活躍している(しかも自分は1週間前に仕事で武蔵野線に乗っている)205系に再会するとは、なんともデジャブな感じがして面白かったです。
出発シーンは動画に収めました。古き列車ホームから東洋IGBTのVVVFモーター音が響くのはとても感慨深いものです。
【ジャカルタ 205系】元武蔵野線M29編成 ジャカルタコタ駅出発(2019.05.01)
M36編成・スディルマン駅
その日の夜、マンガライ駅からスディルマン駅に向かう電車が205系5000番台でした。
↑車内の様子は日本と全く変わらない(19.05.01 Manggarai~Sudirman)
↑インドネシア運輸省番号が新たに振られているが日本時代の車番も存置(19.05.01 Manggarai~Sudirman)
↑東京近郊の駅と言われてもわからないくらい(19.05.01 Sudirman駅)
ほんの数年前までは屋根上に人が乗っている非冷房車が行き交うジャカルタの電車でしたが、205系をはじめとする日本の中古車両の大量導入で一気に近代化し、今や車窓に東南アジアらしい混とんとした景色を残す以外は本当に日本の風景と大差なくなりました。
遠くインドネシアまで来たはずなのに日本に景色に出会うというのは嬉しいですね。
【ジャカルタ 205系】元武蔵野線M36編成 スディルマン駅発車シーン(2019.05.01)
【ジャカルタ 205系】元武蔵野線M36編成 Sudirman Baru(BNI CITY)駅通過シーン(2019.05.01)
2日後、西船橋駅で
ジャカルタから日本に戻った翌日、外出ついでに武蔵野線205系に乗る機会がありました。
↑ケヨM18編成:クハ204-58(19.05.03 西船橋駅)
わずか2日後に日本で活躍している同系列に再び会うとか、まさにデジャブですね…。
またジャカルタへ行ける日を夢見て
205系は武蔵野線から撤退しますが、ジャカルタへ行けばいつでも会うことができます。
現在はコロナによってそう簡単に行けない状況になってしまいましたが、205系の大量投入によって東急やメトロの譲渡車両が老朽化による置き換えが進んでいることもあり、早く自由に訪れる世界になって再訪したいものです。
■ジャカルタ鉄道乗り歩き記録は以下もご覧ください。